2016年7月18日月曜日

一学期が終わったのでした

小学4年ぐらいの日本語能力であるインドネシア人が日本の高校に入って、一学期が終わりました。日本語能力だけではなく、習ってきたことがまったく違うので、日本の高校レベルの学習をやっていくのはかなり大変だったと思いますが、何とか一学期を凌ぎました。
習ってきたことの延長で出来るのは数学ぐらいではないでしょうか。

国語なんか古文までやらされています。変格活用とか概念さえわからないと思いますが、とにかく丸暗記をしてテストをやり過ごしてました。日本語というのは(英語も中国語も同じですが)、長い歴史から来る蓄積があるので、インドネシア語のような新しい言語とは言語の概念自体がかなり違います。これは簡単に言うと、文学の歴史がある言語と、それがあまり無い言語の違いと言っても良いでしょう。日本にしろ中国や英語圏で文学とか言語のために命を落としたとか投げ出した人間というのは、結構いますよ?そんなのよく聞く話で別に珍しくないですよ。檄文なんて命をかけて書くもので、戦争に負ければ大概見つけ出されて首をはねられます。そういう積み重ねが、すなわちその言語の重みであり深みで、だからその言語に深い敬意を払うわけです。
皆さんも海外を旅行して、街に本屋が一軒も見当たらないとか、交通機関で本を読んでいる人間を一人も見かけないのに気づいて、「この国では本を読むという文化というか習慣が根本的に存在しないのだなぁ」と感じたことがあると思いますが、つまりそれだ。言葉というのは通じればOKとか新聞読めれば大体OKというものではなく、それはただのスタート地点で、そこからが実は重要だ、という本質を理解するのに、恐らくかなり時間がかかると思います。

社会科というのはインドネシアには恐らくありません。まず地図が読めないとかそういうレベルです。地球は丸いぐらいは知ってるでしょうけど、アメリカとかイギリスがどこにあるとか、そんな事は恐らくまったく知らないです。教科書を見たら、モンテスキューとか出ていました。かなり大変です。

英語は習ってきてますが、これも教育観念が違い、習ってきたのはいわゆる英会話で、英文法とかあまりわかりません。日本の英語教育は英文の読み書き主体。それが良いとか悪いとかではなく、そういうものです。

理科系は完全に習ってきていることが違います。

私がいきなり英語圏の高校に入れられたら相当苦労するだろう、と思いますが、それを何とかやっていくという大変ハードな高校生活ですね。

しかし高校というのは実に良い。何と言っても無言の脅しというか圧力というものがあるのです。つまりテストで悪い点を取ると、補習授業があり、再テストがあり、それでもダメだと進級出来ない。教育にしろ仕事にしろ、ものを覚えるというのは大概の場合「逃げたくても逃げられない」という無言の脅しがかかるから真剣にやる。もちろん脅しがなくても真剣にやる人も存在しますけど、それは一部別世界の住人ぐらいの人種です。私なんか、脅しがかからなければ仕事なんてたぶんやりません。「まじめにやらないと食えなくなるし、従業員を食わせられなくなる」という無言の脅しとか圧力があるから、それなりにまじめに仕事をするわけです。

英会話スクールに行って、英語が話せるようになるなんてケースがほとんど無いのは、そこには脅しがないからです。嫌ならやめてしまえば良い、という大きな逃げ道があると、ものを覚えるのはなかなか難しいわけですよ。

ちなみに私が知っている一番効率が良い外国語の習得方法は、警察の取り調べです。知り合いの刑事が言ってますけど、大概外国人の犯罪者は最初必ず「ワタシハ ニホンゴ ワカリマセン」と言いますが、30分もお仕置きするとほぼ全員流ちょうな日本語を話すようになり、実にスムーズな取り調べが出来るということです。何と!日本語が話せない外国人が30分で日本語を話せるようになるのです。世界のどこの日本語学校でもここまで効果的な言語教育が出来るところはないと断言出来ますね。脅しというのが教育において絶大な効果があるという言うことが立派に証明されています。人権という面から考えると少々問題はありますし、使いすぎるのもまた問題あるんですけどね。飴と鞭を上手いこと使い分けるのが大人ってものです。

何はともあれ、日本語の読み書きがまともに出来るようなるまでは、長い時間がかかると思いますが、高校の3年間を凌げば、それなりに何とかなるのではないかと思います。